自由学園明日館

2023/11/3

以前から行ってみたかったので、連休で実家に帰省した際に行った

約100年前(1921)に創立した女学校が使っていた校舎が、文化財として今も残されている(学校は1934に東久留米に移転したため、この校舎が学生に使用されていたのはそれ以前)

 

教室

陽射しが差し込み、良い塩梅の明るさになっている

この校舎が使われていた当時は教室に照明が無かったらしく、明かりは完全に陽の光に頼っていたらしい(そのため雨の日は暗くて授業も大変だったとか)

 

食堂

外交を取り込み、幾何学的な装飾を用いて変化に富ませた内部空間はこの校舎を設計したライトという人の建築様式の特徴をよく表している、らしい (パンフレットより)

このライトという人は帝国ホテルの建築も手がけていた著名な建築家で、当時も帝国ホテルの仕事などがあり非常に忙しかったらしいが、この学校の教育理念・ビジョンに共感し、設計を快諾してくれた、とか

最初はコレより狭かったらしいが、生徒数増加の影響で途中で増築したらしい

また教室には照明が無かったが、食堂には当時からライト自身がデザインした照明があり、それが今もそのまま残されている

 

ホール

女学校当時、この部屋で毎朝礼拝が行われていた

壁の壁画は、創立10周年の際に当時の生徒によって描かれたものらしい(修理工事の際に蘇ったんだとか)

学校建築なのに暖炉がある 「火のある所に人は集まり、団欒の場が生まれる」というライト自身の思想によるものらしい

 

様々な教育理念があった

・立派な玄関や校長室家庭的な雰囲気の中で学べるようにするため置かない 確かに職員室も小さかった

・「生活即教育」の理念の元、建物の管理や戸締り、食事作り、掃除などの身の回りのことは全て生徒に任せていたらしい 昼飯も作るところだけじゃなく、食材の調達、費用の計算からやらせていたんだとか

言わんとすることは分かるけど、それを実際教育プログラムの1つとして組み込んで年端も行かない子供たちにやらせてたのは中々スゲーことやってんなと思った

 

建物は使ってこそ維持保存できるという考えで、保全修理後は見学以外にも様々な用途で施設が利用されている

 

保全修理で教室はほぼ全解体されたらしいが、僅かに「オリジナルの床材」が残っている

ライトが自分の故郷と同じように考えて建築した結果、日本の多湿な環境には合わず殆どの床が痛み、腐ってしまっていたらしい

 

講堂

生徒数増加でホールでは手狭になったので、新たに別棟として講堂が作られた

 

講堂の耐震工事をしてたら、講堂が建てられた当時(昭和初期)の洋式便所が殆どそのままの状態で出てきたらしい スゲー

木製の便座や木製の水洗いタンクがマジでタイムスリップしたみたいな歴史を感じさせてきて面白い ペーパーホルダーの位置、向きが今と違うのも導入初期で使用者に最適化されてなかったかららしく、それもまた歴史を感じさせてくれる

 

外観

美しい景観だけど結構小さい この中に最大300人いたらしくそりゃ狭くて移転するわなと思った

 

 

面白かった